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『幻想異郷伝〈下〉 試し読み』


 

 

 

 

 

これはもう一つの幻想郷の物語

 

 

 

 

 

 

 


ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ。
八百万の赤子が泣いている。
何が欲しいのかそれさえも言葉にできないように、ただただ意味の通じない喚きを繰り返している。
ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ。
耳を手で塞いでも、意識を眠りに沈めても〈声〉は身体の奥底に響いてくる。
人は望んでいなくても腹を空かす。
人は願っていなくても眠りにつく。
早苗の耳に届くこの〈声〉はそれに近いものだった。
元人間であるためにそう感じるのか、それとも他の神もそうだったのか。今となっては知る術はない。

 早苗は目を開く。
外界への意識が開けば、音と匂いと光がずかずかと脳裏に入り込んで来る。霊力で作り出した明かりは夜を昼に変え、四人の人妖の姿をはっきりと照らし出す。
八雲紫、伊吹萃香、豊聡耳神子、霍青娥。現在の幻想郷を運営する首脳陣と言ったところか。
「――そして、その場で首を切る。使い終わった邪魔者を処理し、施政者の地位を盤石にする。手垢のついた手法だがそれだけに効果はある。これで私の地位は盤石となる……と、こうだな」
嬉々とした声で神子は自らのアイデアを語る。まるで既に決定したかのような口調で喋るのは、誰にもケチのつけようのない事であると自負しているからだ。実際、民衆の心を掴むのに関してこの生臭聖人は誰よりも長けていた。今語っているイベントを終えれば、その立場は揺るぎなきものとなるだろう。
「でも何故、三日後後なのかしら?」
「私の生まれた日だからな」
「あらそうなんだ。おめでとう」
「まあ、嘘なんだが」
「嘘じゃない!」
紫の声もどこ吹く風、神子は軽く髪をかき上げる。
「私の生まれは年の始まりと同じ一月一日。理由は何でもいいさ。その日が特別な日となれば。何なら記念日にでもするさ。時間を取るのは里人の心を熟すためだよ。三日三晩の間が期待を掻き立ててくれる。それが憎い妖怪の最後ともなればなおのこと」
その説明に一応の納得はしたのか、紫は扇で口元を隠し姿勢を正す。
「さて、よろしいか?」
取ってつけたように神子が確認の声を発する。青娥は頷き、萃香は我関せずと酒を飲み、紫も声を上げない。積極的に肯定する理由はないが、反対する理由もないといったところか。当然といった風にふふんと鼻を鳴らす神子に、早苗は割り込むように声を上げた。
「確かにその計画が成功すれば、貴方の立場は確立されるでしょう。しかし、もしその祭りが失敗に終われば、逆に立場を危うくしませんか?」
まさしく水を差す早苗の言葉に、神子は一瞬だけ眉を潜めた。だが、すぐに顔を緩め自信をまつ毛の先までに満ちさせる。
「ふむふん。確かに叛徒が動くとすればその時だろう。しかしだが、逆に膿を出せる良い機会とも考えられるんじゃあないか?」
獰猛に口を歪ませる神子に、早苗は頷く。
「確かにそうですね」
「そうともさ。だが最悪の事態に備えるというのは、良い意見だ。こちらも万全の態勢で応えよう」
「万全ねえ。そいつはどの程度を考えてのことだい」
口を挟んだ萃香に面々は顔を向けた。
「なんでしょう? 何か起こるとでも?」
神子の問いにも萃香ははぐらかすように器を煽り、アルコールの匂いと共に「さあね」と吐いた。
「ただ、未来のことなんて誰にもわからないんじゃないかな?」
「未来の人が来ているのに不思議なことを言いますね」
「逆だよ。確実な未来を避けたからこそ、その先にあるのは前人未到の獣道だ。何が起こっても不思議じゃない」
「踏み潰すだけです」
それは神の宣告に違いなかった。
「要らない知識、要らない思想、要らない力、要らない人、妖怪、神。霊界も、地獄も、天界も、魔界も、何も要らない。神が人を楽園から追い立てた理由は知恵。不必要な知恵など削ぎ取ってしまえ。神子さんもそう思うでしょう?」
突然話を振られ、神子は肯定とも咳ともつかない息遣いを返す。明確な答えなど最初から求めていなかったのだろう、早苗は神子を待たずに紫へと向き直る。
「幻想郷は幻想郷でさえあればいい。私は未来を救う。それを邪魔するものは全て踏み潰します」

                   ◆

 結局、神子の提案は消極的賛成多数により可決。処刑は三日後に行われることなった。
「お疲れ様」
「あ、はい。どうも」
待機していた射命丸の肩に軽く手を置く青娥。へりくだる様子に優しく微妙する。
「貴方も大変ね。会議には出させて貰えないのに、こうして待機して。それで無理難題を押し付けられるんだから堪らないでしょ?」
「皆さんに救って頂いたこの命。皆さんのために使うのが道理です」
「私が床の間に来て、と言っても?」
「お望みとあらば」
「私ね、生身より死体の方が好みなの。腐った内臓とか崩れかけの皮膚とか素敵だと思わない?」
青娥の揺れぬ視線に射命丸の顔が強張る。だがぱっと頬を緩めた青娥は「じょーだんじょーだん」と手を振る。
「もう、射命丸ちゃんってば、本気にし過ぎ」
「は、すみません」
本気だったくせに。
「それはそうと、ねえ射命丸ちゃん」
「なんでしょう?」
「萃香ちゃんのこと、切らない?」
今度こそ射命丸の鼓動が止まる。
「それは……どういう意味でしょうか」
「ん? そのままの意味だけど? あの細い首を――」
青娥の指が射命丸の首にかかる。綺麗に整えられた爪が頚動脈を探り、ゆっくりと首を横切る。射命丸の首にわずかな赤線が引かれた。
「こう……ね?」
「せ、青娥様、それは」
「やだわあ、青娥様だなんて! 呼び捨てでいいのに!」
きゃー、と黄色い声を上げて射命丸の肩を叩く青娥。それなりに強い力で叩かれたのだが、射命丸にはそれを気にする余裕もない。
「もしくは青娥ちゃんって呼んでね」
「し、しかしなぜ?」
「理由? んー、ちょっと待ってね」
青娥はこめかみに指を当てながら目をつぶる。そのまま二三回首をメトロノームのように揺らして、
「えーとね。そう! 邪魔なの! 太子様の国作りにとって! だってあの子って何してかすかわからないでしょう? 何より嘘をつかないなんてのは、ねえ?」
「はあ」
「だからね、射命丸ちゃん。貴方が英雄になってくれないかなって」
「英雄ですか?」
「そう鬼殺しの英雄。貴方は天狗や山の妖怪たちを圧する悪鬼を倒した伝説の天狗となるの。奴隷のように扱われていた同胞を解放し、山に真なる自由を取り戻す。大天狗にも天魔にもできなかった偉業を成す。そう、他の誰でもない射命丸文が」
「――御冗談を」
「人を見る目はあるつもりよ」
天女のような笑みを浮かべ、青娥は射命丸の頭を胸へと抱き寄せる。何か香料でも使っているのか、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。黒い髪を撫でながら、そっと青娥は囁いた。
「貴方には野心がある。そして自分の弱さを知っている。弱い己を知りその上で高みを目指す者。私の国ではそれを『道を知る者』と呼ぶの」
「道を……知る?」
「道とは万物の真理。それに挑み己の道を歩むことこそ、私の国では最も大切なことだった。射命丸ちゃん、貴方は己を知っている。己の力でどうにもできない真理を知っている。そしてその上で、その真理を打ち破ろうとしている。それこそが」
不意に青娥が身を離す。見れば通路を曲がり、神子がこちらに来る所だった。
「青娥。ここに居ましたか」
「あら、太子様。どうかしまして?」
神子に追従し、去っていく青娥。通路を曲がるとき、射命丸にウインクを投げてよこす。
大きく息を吐き、射命丸は壁に後頭部を預ける。
生きた心地がしなかった。
「……要は私の方が組し易いということですか」
蛇に巻かれたような嫌悪感に身震いする。だが、萃香によって傷つけられた自尊心は不可能へと挑戦するには十分で、童心に夢見たヒーロー像を捨てるには千年の時は短すぎた。
「道を知る者、か。ばっかみたいですね」

「また悪巧み?」
「あら。私、悪巧みなんてしたことありませんよ」
神子の横に並びつつ、青娥はけろりと答える。
「あの子が見込みあると思ったのは事実ですし、太子様の力になりたいというのも本心ですよ。それに」
「それに?」
「それで死んじゃったとしても、それはそれで楽しそうでしょう?」
飴を貰った子供の表情で青娥は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 


 デカければ強い。これは古今東西あらゆる場所で通ずる真理である。
考えてみて欲しい。
頭上から直径十メートルを超える巨木が落ちて来たらどうか。風切り音を鳴らし分厚い鋼材が迫ったらどうだ。身の丈十五メートルの巨人に頭を摘ままれたらどうする。
いずれも答えは致死の二文字に帰結する。その方法がミンチか切り身か消化吸収かの違いだけだ。
巨岩を切り出して生み出された王墓。
万の時を行き、マグマを吸い上げる巨木。
遥か昔に生き争い合った巨獣ども。
世界中で自然人工問わず巨なる物には尊敬と畏怖が根付き、信仰に昇華されている。
デカい=強い。
このシンプルな方程式を突き詰めるべく、アリス・マーガトロイドは一体の人形を作った。
名付けて『ゴリアテ人形』。
古き文献に記された巨人の名を冠するこの人形はその名の通り規格外の巨体を誇る人形である。
きっかけは伊吹萃香の能力。これから発想を得て編み出した巨大化魔法は手の平に乗る上海人形を家をも超える巨体へと変化させる。だが以前、偶然つっかかってきた妖精に対して行った試験運用にて、この致命的問題が発覚した。
巨大化の魔法に対する人形本体への過剰な負荷。
上海人形はレーザーの発射、ナイフやランスでの攻撃、自爆など極めて高い汎用性を持つ人形であるが、当然のことながらその強度は人形サイズでの運用を前提にしている。巨大化に比例して増した重力の影響や各関節への負担はアリスの予想を越え、上海人形を全治三日の傷を負わせるほどのものであった。しくしくと泣く上海人形を修理しながら短時間での運用や歩行などの日常動作はまだしも激しい戦闘に耐えるのは困難であるとの結論にアリスは至る。
理想に描く人形を作るには、現在の常識から逸脱することを始めなければならなかった。

 時は少し進み、過去へと戻る。
幸い妖怪の山に土地は売るほどある。ここから石を投げて人に当てるには最低でも二千メートルは飛ばせる肩がなければならないだろうし、このスタイル抜群な美女が倒れて潰れる者もいない。
アリスはゆっくりと指を握る。すぅ、と緊張の糸をほぐすため、息を足元まで落とす。
「周囲確認!」
「周囲確認、よし!」
背後、アリスから二十メートル離れた場所から声が返ってくる。木々の間、いつでも逃げ出せるように構えたにとりだ。その隣にはにとりと同じ格好をしたリサの姿もある。
「リサ避難!」
「リサ避難よし!」
「よし!」
ソプラノボイスでリサが答える。本人は「よし」と言っているつもりなのだが、少々舌足らずなせいか「よし」と「よち」が混ざり合った音に聞こえてしまう。とりわけさ行が苦手のようで、大声を出すとたびたび舌が回らなくなるようだ。その程度のことなら、アリスはこの三日の内に知ることができた。
「始動試験、用意!」
「始動試験、用意よし!」
準備は全て完了。万が一の場合は強制停止することも考慮の内。そのための二十メートルだ。
「始動試験、開始!」
「始動試験、開始!」
アリスは翼を広げるように大きく両手を上げた。それに呼応し、鎮座していた巨人の瞳に光が点る。関節が鋼を擦りあわせるような重い音を立て、体内に十四基設置された魔力炉が唸りを上げる。放出された魔力の奔流が全身を巡る体内糸に命を吹き込み、心臓部たる発動機を廻す。
百年の眠りから覚めるように、その巨体はゆっくりと立ち上がった。まだ服や髪の付けられていないそれは、大きく成長した赤子であった。
「ん!」
固唾を飲むにとりの声。
ここまでは成功。確かな手ごたえにアリスの指にも力がこもる。大丈夫慌てるなやればできる。自分に自分で言い聞かせ、一度呼吸を整えた。
「続けて、歩行試験に移行。用意!」
「歩行試験、用意よし!」
努めてゆっくり三秒を数え、右手を軽く上げて『歩け』とシグナルを飛ばす。
基本的な操作はゴリアテ人形も上海人形も変わらない。だがその巨体故に一度動き出せば止めるのは困難だ。巨大さとは破壊力。わずかなミスは巨大なうねりに変わり、最悪使用者へと牙を剥く。それに、消費される魔力も莫大だ。暴走でもすれば辺りを吹き飛ばしかねない。爆弾を触るかのように慎重にアリスは指を動かした。
ずしん。
まるで杖を無くした老人のようなぎこちないモーションであったが、確かにその右の靴は数メートルの距離を進んでいた。
「……………」
数えて五秒。
倒れは、しない。
「……続けて、白兵戦試験、武器用意」
「白兵戦試験、武器用意よし」
人形を歩かせ、武器の元へ向かわせる。
規格外の使い手には規格外の獲物が必要だ。アリスが求めたのはかすっただけで肉を切り飛ばす鋭い刃だった。基本的に使う相手は人間大を超えない。そして強靭な鎧に身を包むこともない。そしてこの巨体で振り回すなら威力を考慮せずとも致命傷を与えるだけの力が出せる。
ただ鋭く、ただ強く。
結果がこの二本の片刃刀だ。
身幅一メートル、刃渡りはその十倍。厚さは五センチ取っており、造形はいわゆる平造。濃淡ある墨色の刀身は肉を削ぐための熱が今なお冷めやらぬ状態で込められている。芸術品というにはあまりに武骨で、儀礼用というにはあまりに悪辣過ぎる一品。それを両手に握り、中段に構えさせる。正面から見れば、人形の頭を中央に切っ先から柄までが八の字に見えるはずだ。
動かす。
右手を上げてそのまま振り下ろす。感触を確かめるようにゆっくりと。それだけで空気が押し出され刃の鋭さがここまで伝わる。
続いて左手、もう一度右手。もう一度。
「……ふっ!」
息を吐き、操作速度を上げる。ゴリアテ人形は左足を前に踏み込み、右腕を振りかぶる。右上段からの袈裟切り。大木をも倒す一撃。
今までと段違いの圧が両手にかかる。ミキサーの中に両手を突っ込んだならばこんな痛みが走るのだろうか。人形の軋みが指の関節にそのまま響く。ギリギリと腕が悲鳴を上げ、十指が千切れる映像が脳裏に瞬く。堪らずアリスは接続を切った。ゴリアテ人形は振りかぶった勢いのまま姿勢を崩し、分厚い刃で地面を切り裂きつつ一回転して仰向けに倒れた。
「マリス、大丈夫!?」
マリス。自分で名乗った偽名ながら、こうも真顔で呼ばれると
「うがー!」
「うわああああああ!?」
突然、地面に頭を叩き付けたアリスににとりは飛び上がる。
「な、なんだい? えっと私何か悪い事?」
「何でもない。貴方のせいじゃない。己の理性が滾っただけよ」
今度からはもっと考えて名乗ろうと思う。名前の由来を考えればなおさらに。
アリスは両手を見下ろす。未だ小さな蟻が這い回るような痺れが手先から抜けない。ゆっくりと指を動かし、少しずつ痺れを抜いていく。
「白兵戦試験終了。報告、無理な操縦事故の元」
「失敗なんて当たり前だよ。ほい」
「ありがと」
両手で水滴の浮かぶ竹筒を受けとり、冷たい水を喉に送る。手近な所にあった倒木に腰を下ろし、固まったゴリアテ人形をしみじみと眺める。
「――怪物ね」
感想はシンプルなものだった。
規格外の人形は規格外の使い手を選ぶのだと、アリスは今更ながらに思い知らされた。

 実際の所、未来で持ち出した時点で骨組み自体はほぼ完成していた。立ち、歩き、武器を振り回す程度なら問題なくできた。だがそれだけだ。もっと実践的な、弾幕勝負にも使用できる程の駆動をさせることがアリスにはどうしてもできなかった。せいぜい重力に任せ、刃を振り落とす位だ。これではギロチンとなんら変わらない。相手を拘束台にでも縛りつけられれば良いが、そんな暇があるなら普通に倒すだろう。
問題は駆動の遅さだ。これはアリスの技術うんぬんではなく魔力糸を伸縮させて各部を動かすという方法の限界だった。糸の伸縮のスピードには限界がある。だが、使用する間接が巨大になればなるほど伸縮しなければならない距離は増える。結果、のろまな巨人は人型巨大削岩機として運用するくらいしか使い道がなくなってしまった。
転機はにとりに知恵を仰いだこと。
もともと発明家として鳴らしていたにとりは、過去の時点でもアリスの知らない技術をいくつも持っていた。
魔力を注ぐことで回転する発動機。
魔力を溜め、任意に放出させる魔力炉。
衝撃を和らげ、摩耗を軽減する蜜色の油。
発明家にとっての命である知識の数々をにとりは惜しげもなく提供した。にとりが居なければそもそも早苗に穿たれた大穴を塞ぐことすらできなかっただろう。
駆動の遅さは単純な糸の伸縮から、発動機を回して糸を巻き取るワイヤードライブ方式との併用をすることで解決を見た。素早く力強いパワーと卵を摘まむような繊細さの両立を持って、ゴリアテ人形は一気に兵器としての地位を向上させた。また装甲面でも性能の向上を試みた。魔力糸の保護と防御力向上のために砂蟲の腸から編み出したチューブは巨人の体内を縦横無尽に巡り、カモフラージュスキンの下には血管標本のような正体がある。これもまたにとりと共に編み出したアイデアだ。
三日三晩の徹夜を経て、ゴリアテ人形は途轍もない速度で改修された。パワー、スピード、防御力。全てにおいて規格外の前代未聞。これさえあれ、並みの妖怪など像が蟻を潰すようなものなのだ。
理論上は。
「こっちがてんで追いついてないんじゃあねえ」
すでに日は高い。人間的習慣の染みついた身体は未だに腹時計を錆つかせてはいない。囲炉裏を囲み、藁座布団に座り、アリスはサワガニの素揚げをつつく。隣ではリサが匙を逆手に漬物を乗せた雑穀粥を美味しそうにかき込んでいる。
「歩行もできたし、腕も振れた。大したもんじゃん。もう少しすれば踊りだってできるよ」
「そうかもね」
にとりの言葉には妙な実感がこもっていた。きっとこの手の失敗など日常茶飯事なのだろう。倉庫に山と積まれたガラクタが失敗発明なれの果てであることもアリスは知っている。研究はトライアル・アンド・エラーの連続だ。成功のためには失敗に投資しなければならない。一端の魔法使いとしてこの手の地道な作業の重要さもアリスは理解しているし、にとりが言う通りいつかは完璧な操作を身につけることができると自負してもいる。
しかし、
「ちなみにもう少しって、どのくらい?」
「百年くらい?」
そこだった。
にとりの発言は妖怪として永劫の時間が保障されていることを前提としたものだ。通常ならそれでいい。寿命無き妖怪にとって時間など退屈過ぎて異変を起こす程にある。だがアリスにはここに長くは居られないという予感があった。根拠など無い。だが明日にでもここから自分は去らなければならないのだという漠然とした気持ちが胸の中に置かれているのだ。
奇跡が必要だった。
一夜で醜いアヒルが白鳥へと羽ばたくような奇跡が。
「そういえば、マリス。あの件だけど」
こちらを気にしてか、ただ思い出してか――恐らく後者だろうが――にとりは話を切り替えた。
「なんだっけ、はっ、はっけよい?」
「八卦炉?」
「そうそうのこった。それなんだけど、やっぱり拾ったって話は聞かなかったよ」
「……そう」
期待はしていなかった、と言えば嘘になるか。
魔理沙が死の際に渡してくれたあの魔道具は、未だに家出の真っ最中だ。こんな時こそ失せ物探しの名人の出番なのだが、戻った山中にはネズミ一匹船一つなかった。あの後どこか遠くへと飛ばされただけなのか、それともその身に何かあったのか。考えても無駄だということだけはわかり、アリスはゴリアテ人形製作へと専念した。それでも打てるだけの手は打とうと思い、にとりに八卦炉の図を渡して調べて貰ったのだが成果は上がらなかったようだ。
「マリスの宝物なんだ」
わかったようなことを言いつつ、リサが顔を上げる。口元についていた米粒を取ってやりながら、アリスは苦笑する。
「まあ、ね。大切な物よ」
「ふうん」
気の無い返事を返し、リサは残っていた米を舐め取るべく、ドンブリに顔を突っ込んだ。即座にアリスの手がリサの首根っこを掴む。
「お行儀が悪い」
「うあー」
「マリスは厳しいねえ」
「あんたもよ。箸の持ち方が悪い」
教本のようなアリスの持ち方に対し、にとりはよくも落とさないものだと感心したくなるアクロバッティグなものだ。アリスに睨まれ、にとりは曖昧に笑って座布団から立つ。
「水でも飲もうかな~」
「もう、逃げてちゃ上達しないわよ」
はいはいと気の無い返事が返ってくる。やれやれとアリスは首を振り、リサはあんな生活力の無い姿にしまいと心に固く誓う。
「――『ああ! 便所虫!』」
突然聞こえたにとりの声に、アリスはリサを抱えて地下室へと転がり込む。これはにとりとの間で決めた合言葉の一つだ。このパターンは『誰かが外に居るから隠れろ』という意味である。来客か、追手か。隠し戸が閉じるのを確認し、にとりは扉の支え棒を外した。
「こんにちは、にとり」
「な、何かな椛。今、発明で忙しいんだけど」
立っていたのは白い耳と尻尾を生やした少女だった。くりくりと動く大きな瞳で、にとりを一瞥すると頭の耳をピンピンと二回動かした。
「誰か来てたの?」
「うえ!? いやなんで!?」
「だって、食器が三つもあるから」
「ああああうんそうそうちょっとお客がさあそれで何の用なの!?」
「……あれでよく今まで隠し通して来たわね」
「ねー」
やがて二言三言の会話の後、椛は去ったようで力なく扉が閉まる音にアリスは顔を覗かせた。
「何だったの?」
にとりが振り返る。その顔を見た瞬間、アリスの呼吸が止まった。おぼつかない足取りで座布団へとお尻を落とし、火箸で炭をつつく。
「――狩りが始まる。巫女がやられたんだ。たぶん、今まで一番大きなものになるよ」
「それって」
窓の向こう、山を越えて黒い雲が近づく。遥か遠くに聞こえる雷鳴は着実に歩を進めていた。



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